2011/04
ゴットフリート・ワグネル君川 治


[日本の近代化と外国人 シリーズ 4]


 ワグネルは1831年にドイツのハノーバーに生まれ、ゲッチンゲン大学で数学と博物学を学び教員資格を取得したが、更にベルリン大学で数学・物理学・地質学・結晶学などを学んだ。数学は有名な数学者ガウスに学び、数学に関する研究で博士号を取得した。
 その後、パリやスイスで過ごした後、38才で長崎にやってきた。
 ワグネルの顕彰碑は東京工業大学構内と京都岡崎公園にある。


↑ 旭焼  ↓旭焼のタイル
 2004年10月に東京工業大学百年記念館で「G・ワグネルが開いた近代日本陶芸・先端セラミックスの美・用・学の世界」展が開催された。
 ワグネルは明治維新の1868年に長崎に来崎して、佐賀藩鍋島公の委嘱で肥前有田の陶器改良を行ったのを手始めに、教育者として教壇に立ち、技術者として煉瓦、ガラス、石鹸などの製法を指導した。さらに陶磁器の新たな製法を研究・指導して窯業技術者を育成し、多くの陶芸家を育てたほか、自らも旭焼を創業して日本画の美しい絵を陶器やタイルに描く釉下彩陶器を開発した。
 
教育者ワグネル
 教育者ワグネルについてみると、1871年に大学南校、ついで大学東校(共に開成学校を経て東京大学となる)のお雇い教師となり物理学と化学を教え、1874年に開成学校の理化学教師となり、開成学校付属製作学教場教師を兼務して技術を教えた。1881年に東京大学に招かれて理学部で製造化学を教授する。学理と実験により、我が国の応用化学の基礎を確立したと云われている。1884年、東京職工学校(後の東京高等工業、東京工業大学)の窯業科教授に招かれ、陶器玻璃工学科を創設し、主任教授となる。
 ワグネル門下生で窯業・陶磁器分野で活躍した人は、東京大学教授となる植田豊橘、東京職工学校出身の藤江永孝、平野耕輔など多くが育っている。彼らは大学や職工学校教師となり、我が国最初の陶磁研究機関である京都陶磁器試験場の指導者でもある。彼らに指導されて多くの陶芸家が育っている。
 ワグネルが指導した窯業技術として挙げられているのは、石炭窯の採用、石膏型技法、ゼーゲル錐、洋絵具の採用、酸化コバルト使用による呉須発色、七宝の改良、煉瓦製造のホフマン窯採用などがある。
 京都は我が国のベンチャー企業の多い都市であるが、そのきっかけは1878年舎密局(理科学研究所)の設立と云われている。1878年に舎密局の指導者に招かれて化学・工芸を教え、煉瓦、タイル、ガラス、石鹸などの製法を指導した。この舎密局の前で鍛冶屋を営んでいた島津源蔵はワグネルの指導で理科学実験用具を製造し、数々の発明考案をして今日の島津製作所の基礎を創った。
 
ワグネルと博覧会
 ワグネルのもう一つの仕事は万国博覧会への参加である。ワグネルはパリで8年間過ごしたが、この間にフランス語、イタリア語、スペイン語、英語、オランダ語、デンマーク語を学んだ語学の天才でもあった。
 明治政府が万国博覧会に最初に参加したのは1873年のウィーン万国博覧会、次が1876年のフィラデルフィア万国博覧会。殖産興業を推進する政府は万国博参加に積極的で、ウィーン万国博は大隈重信総裁、佐野常民副総裁の佐賀藩主導、フィラデルフィア万国博は大久保利通総裁、西郷従道副総裁の薩摩藩主導で、何れもワグネルが博覧会御用掛となる。正式な役職は「列品並物品出所取調技術誘導」で、出品の選定、調達と製作技術指導であり、ヨーロッパでの職人の伝習であった。
 ワグネルはスイスの工業学校教師をしていたとき、1862年のロンドン万国博覧会を見学して、博覧会がどのような性格のものか実地体験済であった。会場の展示方法などを指導し、日本の美術工芸品が高く評価されてジャポニズムがヨーロッパで流行するきっかけとなる。
 技術の伝習者は26名、養蚕法、樹芸法(造園か?)、造船術、製糸、製紙法、建築術など多方面にわたった。製陶関係の伝習者は佐賀の納富介次郎、河原恵次郎、京都の丹山陸郎の3名であった。ワグネルは物理・化学の学問とともに製造技術にたけており、内務省勧業寮の顧問や農商務省顧問を兼務している。
 
陶芸家ワグネル
 ワグネルのもう一つの顔は陶芸家と陶芸指導者である。
 京都在住のころ、五条坂に陶磁器実験工場を持って、彩色・釉薬の研究をし、永楽和全や入江道仙などの陶芸家を指導した。東京大学時代には小石川区西江戸川に製陶所を設立して吾妻焼(のち名前を変更して旭焼)の研究を始めた。日本画の美しさを陶器やタイルに表現する釉下彩の研究で、西江戸川製陶所は東京職工学校構内に移されて研究が続けられた。
 旭焼は美しい日本画の下絵を陶器の上に焼き上げるもので、色彩と色調が従来の陶器と違っている。東京職工学校には東京美術学校彫刻科卒業の板谷波山が嘱託となって研究し、葆光陶磁など近代陶芸家として初の文化勲章を受章している。
 東京高等工業窯業科卒の河井寛次郎や浜田庄司は、京都陶磁器試験場で藤江永孝、植田豊橘の指導を受けて釉薬の研究をし、河井寛次郎は京都五条坂に築窯し、浜田庄司は益子に築窯して共に民芸の一流陶芸家となった。ワグネルは1892年、東京で61才の生涯を終えた。


君川 治
1937年生まれ。2003年に電機会社サラリーマンを卒業。技術士(電気・電子部門)




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